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久々の山岳小説

久々に山岳小説を読んだ。
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アイガー北壁・気象遭難(新田次郎)



新田次郎の作品は高校時代に何冊か読んだ。
中でも「孤高の人」は忘れられぬ作品であり、
それと並ぶ長編三部作を読むのも良かったかもしれないが、
今回は、気象遭難にまつわる短編小説集のこの本を読んだ。

題名の通り、気象遭難とそれに絡んだ人間の心の動きが描写されていて、
なかなかに興味深い。
遭難した時に(決してしたくはないが…)、どんな心理状態に追い込まれるのか
知っておく意味でも、少しは参考になる気がした。
もし、万が一遭難してしまった時の場合に備えて…。

あっては欲しくない事態に備えて、読み始めた小説だったが、
その中の一篇にある、ある登山者の科白がとても心に残った。

甥を亡くした叔父が、甥の登山仲間に問う。
いったいなぜそんな危険な山へ行くのか。他人に迷惑をかけ、
親を泣かせ、それでいいと思ってるのか?と。

それに対し、登山仲間は答える。
「いいとは思っていませんよ。いいとは思ってないけれれど」、
「結局山へしか行くところがない者にとっては山へ行くよりしょうがない」、
「山へしか行くところがないように追いつめられた若者たちの気持ちをおとなと
称するひとたちに知ってもらいたいという意味なんです。若者たちの心の悩みを
真剣に取り上げて解決してくれるものは山しかないという気持ちが、若者たちを
山へ引張るんです。山へ行くのは遊びではないんです。山へ行く者はなにかしら、
心に悲しみや、なやみや、迷いを持っています。それを…」と。

俺はわらった。
俺はもう若者と言われるような年ではない。
けれど、この小説中の登山仲間の言うことがよくわかるからだ。
よくわかるということは、すなわち、遭難死した甥や若者と俺も同じと思うからだ。

去年、長いブランクを経て再開した本格的な山歩きで、
奥穂〜西穂に行った、あの時の俺の姿が小説中の甥や若者の姿に重なる。

俺は…、山に行くしかなかった。
「山へしか行くところがな」かった。

自分とは何なのだろう?
自分を肯定できなくなり、自分の存在意義さえ見失いそうな時に、
自分の存在を確かめられるのは…、俺には山以外になかった。

自己弁護になるのかもしれないが、「山へ行くのは遊びではな」かった。
自分を取り戻す為に、山に行くしかなかった。
あの頂を越えられれば、自分を取り戻せる気がした。
何かが見える気がした。

他人からしてみたら、たいした山ではないかもしれない。
けれど、俺にしてみたら、大いに意味のある山だった。

これからも俺は山を歩き続けることだろう。
その先にある何かを見つける為に、よりよく生きる為に…。

この本に出会い、思いがけず、
自分と同じ思いで山を歩く人に出会えた気がした。
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Commented by 姐さん at 2007-09-27 20:47 x
考えさせられる文章でした。
新田次郎さんの本は、「孤高の人」「八甲田山死の彷徨」
「新田義貞 上下 」
そしてこの本も、読んだ事があります。

山と出会い、山に登る事によって自己鍛錬ができるって
いいじゃないですか。
自分を取り戻す山
常に大きく待ち構えてくれていますよ。
Commented by torajiro-joshu at 2007-09-27 21:54
>ゆみ姐さん、こんにちは。
こんな内容の記事にコメントしていただき、ありがとうございます。

思ったことをストレートに書いちゃいました…。
まぁ、全てを書いたわけではないですけれど…。

去年の山行に始まり、それを残す為に始めたブログのお蔭で、
多くの魅力的な方々と出会うことができ、また多くのことを知ることができ、
とても嬉しく思ってます。
ゆみ姐さんもその中の一人です!
どうもありがとうございます。

「山に登る事によって自己鍛錬ができ」てるかどうかは、俺の場合にはあてはまるかわかりませんが…、言葉にできない何らかの思いが自分の中に少しずつでも育ってはいるかもしれません。

新田作品、ゆみ姐さんも結構読まれているんですね。
「孤高の人」は俺も大好きです。
俺も「孤高の人」を名乗りたいですが…俗っぽいんでダメです…。(笑)
by torajiro-joshu | 2007-09-26 23:20 | 読む | Comments(2)

私、寅次郎の好きな山、温泉、食べ歩き、愛犬(パグ)等に関して気ままに綴っていきます。


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